レスター・レヴェンソンがセドナメソッド発見に至る過程の有名な物語です。
有志の方の訳がネット上に出ています。
人間がどこまで無限の存在になれるか…という可能性に満ちた真実のストーリーです。

2週目の最終日、シュルツ医師は毎朝の回診に来て、患者を調べた後、椅子に腰を下ろした。

「今日で退院して良いですよ。状態が安定していますから、これ以上あなたを入院させ ておく理由はありません。ただ、あなたの病気が良くなったという事ではないですよ。 これから定期的に検査をしながら、一生療養する必要があります。でも、これ以上入院している必要はありません。家で安静にして薬を飲む事が出来ますから」

医師は彼の自宅での休養プログラムを、薬、定期的に病院を訪れる事、食事法、社会活動(無し)、性生活(これも無し)にいたるまで、概要を説明し始めた。レスターは驚いたが、医師の要求に従う決心をした。
「先生、これはどれくらい続けるんでしょうか?」レスターは尋ねた。
「どれ位の間、このように休まないといけないのでしょうか?はっきり分からないとは思いますが、大体どれ位か教えて頂けますか?」
彼は医師の顔を注意深く見ながら答えを待った。シュルツ医師が口を開くまで長い時間が経ったように思えた。
「君は今何歳かね?」
それは彼が予想もしていなかった言葉だった。次に何と言われるのかとレスターは考えた。それは彼が好ましく思えないような何かが、その医師の態度に表れていたからだった。
「42歳です」彼は答え、次の言葉を待った。
シュルツ医師は窓の外を眺め、無表情で座ったまま考え込んでいた。長い沈黙の後、2人とも動かずにいたが、シュルツ医師は1度うなづいた。それはレスターを恐れさせた決定的な瞬間だった。そして唐突に、きっぱりとこう言った。
「これからは、残念に思います」
「どういう意味ですか?これからって?」
とても不快な感覚がレスターのお腹から胃へ登ってきた。
「つまり、あなたは今後普通の生活をする事は期待出来ないという事です」
彼はレスターのショックを受けた表情を見て、素早く言った。

「あなたの冠状動脈は深刻な状態になっているのです。あなたがこうして生きているのは全くラッキーなんですよ。発作の度合によっては死んでいてもおかしくはなかったのです」
医師は間を置き、咳払いをした。

「こういう事を聞くのは非常に辛いというのは分かっていますよ。しかし、それは私も同じく辛いんです」
彼は唐突に立ち上がり、窓際まで歩いていき、レスターに背を向けたまま言った。

「何か他に言える事があれば良かった。2,3ヶ月であなたは正常に戻り、前の生活に再び戻れると言えたら良かったと思います」
彼は間を置き、顔を静かにレスターに向け、言葉を続けた。
「しかし、それは言えません。正直言って、それは言えないのです。大変残念です」
レスターは今や怒っていた。
「残念ですって?ええ、私も残念ですよ!あなたは私の命を救った。でもそれは何のためですか?残りの人生を病気で暮らすためですか?全く何て人生を取り戻してくれたのですか、一体!」
一度口火を切ったら、彼は止めることなど出来なかった。彼は医師を非難し続けた。彼の全ての欲求不満、憤り、怒りは、彼の腹の底から不快な感覚が喉に登って、咳が出てむせ始めるまで溢れました。医師は、彼がゲーゲー吐き、疲れきって枕に倒れるまで洗面器を持っていた。レスターの手は口をぬぐおうと持ち上がっている間、震えていたのだった。
医師も汚れた洗面器をトイレに運ぶ間、震えていた。彼は注意深く、それを床に置き、洗面台に屈みこみ、両手で体重を支え、額を壁にある薬箱の冷たい鏡に押し当てていた。
何年も開業しているにも関わらず、こういう状況に彼は影響されていた。彼は家にいれば良かったと思い、1日が終わり、夕食の前に1杯か2杯飲みながらリラックスしていたらと願っていた。大きく溜息をついて、彼は姿勢を起こし、部屋に入っていった。
「今日、退院許可にサインをします。でも、あなたが望むならここにいていいんですよ」
彼は穏やかに言いました。
「もし準備をする時間が必要ならば、その旨を看護師に伝えておきますからね」
彼は他に何を言ったらよいか分からなかった。
レスターは答えた。「いいえ、大丈夫です。今日、午後にでも退院します。退院を延ばすのは全く意味がないと思いますから」
「分かりました。あなたが何を決めようと自由ですよ。でも考えが変わって、もう少しここにいたいと望んでもいいという事を覚えておいて下さいね」
医師は、レスターの青白い顔を綿密に検査している間、しばらく沈黙したまま立っていた。

「家に帰ったら、のんびりリラックスするのを忘れないようにして下さいね。リラックスする事がどんなに重要かは何度言っても足りないくらいなんですよ。階段はどんなものでも昇らないようにして下さい。あと、靴紐のない靴を持っていますか?ローファーのような・・」
「ローファーですか?いいえ、でもどうしてですか?」
「一足どなたかに買っておいてもらうといいでしょう。靴紐を結ぼうと前屈みにならない方が良いですからね。前に屈んだ姿勢は心臓に負担がかかりますから」
レスターが馬鹿げた考えだと思ったが、彼の口をついて出た言葉は「OK,あなたが言う通り事は何でもしますよ」というものだった。
レスターはローファーを履くのを嫌っていたが、今やそれは問題ではなかった。それから、彼は医師がドアに向って歩いているのを見ていると質問が浮かんだ。
「先生、私は死にませんよ。そうですよね?つまり私はたった今から気楽にいなければならない。しかし死ぬわけではない。そうですよね?」
シュルツ医師は立ち止まり、「私には分かりません」と答えた。それからレスターの方を向き「肯定的な答えを言えたらと思うけど、言う事は出来ない。分かっている事は、私は本当に分からないという事さ。君は深刻な心臓発作を起こした。そして生きられるのは1年か2年だろう。明日死んでしまうかも知れない。それは私には分からない」
「正直に答えてくれてありがとう、先生。またお会いしましょう」


その日の午後、彼はまるで墓石にような彼のペントハウスに帰った。「これは墓だ」彼は思った。「そして私は死人だ。きっと慣れるしかないんだろうな」妹達が彼の面倒をみるために滞在したいと申し出てくれたが、彼は彼女達を帰した。彼はただ一人になりたかった。
彼はベッドに入り、食べる時と薬を飲む時、トイレに行く時以外は、3日間をほとんど眠って過ごした。それから、傷ついた動物が巣に戻るように、這ってベッドに入った。

何かが変わったのは4日目だった。
昼食の後、彼は椅子に座りながら窓からセントラルパーク(ニューヨークの)を眺めていた。雪が降り、木々は輝いていた。公園はまるで妖精の国のように見えた。
彼は何て美しいのだろうと思っていたが、その景色を全く楽しんでいない事に気づいた。彼は美しい事にさえ心が動かなくなっていたのだった。
彼は事実上、回復の見込みがない病人であった。せいぜい、何年かこの自宅で座って、横になる分別もない虚弱で死人のような体を養生し、終わらせる事を楽しみにするくらいである。
それを思うと、彼は憤慨し、発作を起こして以来の大きなエネルギーの高まりで、椅子から立ち上がり、洗面所にある薬箱に向かい、錠剤を数えた。彼は新しい薬、鎮静剤と心臓の薬が十分ある事に気がついた。
又、数年前に腎臓結石の痛み止めに処方されたモルヒネの錠剤もあった。もし彼がこの世を去る事を望むなら、そうさせてくれるだけの量のモルヒネがビンには残されていた。モルヒネは心地良く死なせてくれる。暖かく心地の良い雲に舞い上がり、全てがバラ色なのである。確かに次の心臓発作を待つよりは確実に良い死に方だった。

さあ、今、彼は選択肢を持った。病気になってから初めて彼は自分自身に起こった事をコントロールするものを得た感じがした。彼は何をするか考えた。モルヒネの錠剤を飲んで人生を終らせるか?いや、今ではない。彼は決断した。もっと悪い状態になった時にいつでも飲めるのだから・・。
彼は椅子に座り、この状況を吟味し始めた。声を出して自問した。
「お前はまだ息をしている。病気の予後について、医者であろうが誰であろうが何を言ったとしても、お前はまだ息をしている。それこそが意義のある事だ。きっと何か希望があるだろう」
「さあて、どこから始めようか?」

この質問は落ち込むような感覚を再び生じさせ、一気にモルヒネの錠剤を飲むべきかも知れないという思いを彼にさせた。少なくとも、それで彼はこの不幸から逃れ、戦いを終結させることが出来るのだから・・・。

彼は生きている間、何と戦っていたのだろう?
ほんのちょっとした幸せ、それが全てだった。彼はその幸せを見つける事が出来なかった。見つけたとしても、その幸せは1時間、あるいは数分しか続かないものであった。
束の間・・・それが人生であった。束の間・・・永続しないもの・・・常に変化している・・・全てがうまく行っている、あらゆるものが決まりきってリラックス出来ると思うや否や、何かが起き、あなたは再び始めにいたところに戻ってしまうのだ。

分かっているのに、持ってはいられないものを掴んで、握りしめようとしてしまう。一体人生とは何なんだろう?

一体どんな意味があるのか?この地球上で彼は何をしたのだろう?

彼は自分が生まれてきた理由が全く分からなかった。人生で体験してきた事全てを調べても、何の意味もなかった。肉体が死んで最終的に土に還るという事以外、何もないまま終るのだった。
彼が所有していたもの、達成した事は全て意味がなく価値がないように感じた。
「ほこりのようなものだな」彼は思った。

「灰は灰に、ごみはごみに還る…もし戦争があなたを掴まえなくても、税金があなたを掴まえる」
彼はこの馬鹿げた詩の中にある真実に笑わざるを得なかった。人生はあまりにも馬鹿げたものに思えたのだ。しかし、モルヒネの錠剤を飲む事を考えながら、まだ諦める事は出来ない事を理解していた。
彼の脳裏に喚起する何かがあった…どこを探したらいいか分かれば答えがそこにあるかも知れないという捉えどころの無い思いがあった。彼には時間以外何もないと分かっていた。彼の体は半分死にかけているけど、まだ精神は機能していて、まだ考える事は出来ると思った。

「試してみるべきか?」と疑問を声に出してみた。
少しの間、彼はためらったが、肩をすくめて決断した。
「ああ、何て事だ。何も失うものなんてないじゃないか。もし上手く行かなかったら、いつでもモルヒネを飲めるんだ」
彼はもしそうなったら自分がモルヒネを飲むだろうと分かっていた。絶対そうするのだと思っていた。
心が決まったら、そのことについて再び考える必要がなくなった。彼の心は、長期間そうであったよりもクリアに感じた。
そして病気になって以来初めて本当に空腹感を覚えた。
彼は台所へ行き、自炊した。まだとても弱っていたので、ゆっくり時間をかけ、急ごうとはしなかった。食事をしている間、彼の心は答えをどこに求めるかというアイディア、新しい考え、問いなどを探求する事で忙しかった。この新しいプロジェクトはワクワクするもので、レスターも再び生き生きしてくる自分自身を感じた。この食事によってリフレッシュし、強まったので、彼は窓際の椅子に再び座った。

「どこから始めるか?」
彼は思いめぐらした。
「そうだな。最初に知りたい事は何だろう?」

「人生とは何だろう?人生にはどんな意味があるんだろう?この世界に私が存在する理由はあるのか?もしあるとしたら、それは何だろう?」
「人生とは何だ?私が探してきたものとは何だったんだ?」
「ほんのちょっとした幸せ、それだけだ」彼は自分で答えた。
「分かった。それでは幸せとは何だ?どうやって手に入れる?どこで見つければいい?」
「生きるってどういう事だ?この世界にどんな意味があるんだろう?私と世界の関係とは何だろう?」
「どうして私はこんな有り様になってしまったんだろう?」
「この有り様から逃れる術はないのか?」

彼は既にその答えを知っていた。死を選ぶより逃れる術はないと。しかし、もしその答えを見つける事が出来れば、少なくともこの世に生きた理由が分かると彼は思った。彼はその理由を理解するだろうし、そうなったらいいと。

まず最初に彼は幸せと人生の定義を辞書で調べた。辞書には彼が知っている事しか書いてなかった。次に彼は何年もかけて集めてきた本がある書斎に行った。フロイトの本があった。
何か役に立ちそうなものがあるだろうか?いいや、彼はフロイト派の精神分析を何年も受けてきたが役に立たなかった。彼は英語に訳されたフロイトの著書を全て読んでいたが、その答えは見つからなかった。フロイトは彼の知りたい答えを持っていなかった。
次にワトソンの行動主義、ユング、アドラーなどの本に向ったが、それらも彼にとっては無意味だった。
次に哲学者達の本があった。彼は書棚から本を取り、山積みにした。彼はそれを全て1度ならず隅から隅まで読んだが、彼は何かを見逃していたのだろう。結局のところ、彼は特別な質問を持っていなかったと思った。
彼は窓際の椅子のところに本を持って行き、読み始めた。次から次へと目を通し、あちこちのページや段落で目を留めた。
彼の頭の中は情報が詰まり始めたように感じ、思考はグルグル回っていた。どんどんイライラしてきて、彼は他の本、医学、物理学、工学などの本を探しに書棚に戻った。部屋の中は散乱し、本は至るところに積み重なり、ある本は彼がイライラして投げつけたまま床に広がったままになっていた。書棚に残された本は、贈り物として貰ったジョークに関するものと伝記ものだけだった。

次は何を見るのか?
「お前はいつも優秀だったな」彼は自分自身に言った。
「お前はラトガース大学のたった3人の全額給付の奨学生に試験で勝ち残ったのだったな?お前はユダヤ人にも関わらず、それを取り消されなかった。お前は勝ったんだ!」
「お前は学校ではいつも優等生名簿に載っていたよな?エンジニアリングから物理学、精神分析や哲学、医学と本当にたくさんの本を読んできたよな?」
「なあ、もしお前はそんなに頭が良いなら、大物なら、お前が勉強してきた事、知識、読書は何をした?偏頭痛、腎臓結石、胃潰瘍、虫垂炎、痛み、苦難、不幸、それで最後は心臓で死ぬはずだったが、そうはならなかった。お前が正気を取り戻す前にこれ以上何が必要なのか?」
「賢い少年レスターよ、お前はバカだ、バカだ、おおバカだ!お前に役立った知識は何もないじゃないか。それなのに、やはりまだ答えを見つけていない者達が書いた本を読もうとしている」
「その通りだ」
彼は自分自身に言った。

「こんなくだらない事は止めたぞ」

こう決心して、彼は今まで感じていた肩の重荷が軽くなるのを感じた。
突然彼は軽さを感じて、目まいがするほどだった。彼は理解した。ずっと同じ答えを探し続けて生きてきた事を。
しかし今、間違いなく分かった事があった。もし伝統的な場所に答えが見つかっていたのだとしたら、彼は既に見つけていただろうと。彼はどこか他の場所を探さなければならなかった。彼にはどこに答えがあるか分かっていた。
彼は役に立たない知識は一時的に忘れ、彼が学んだ事全てを無視する事にし、研究室に戻って一からやり直す事にした。
問題は自分自身の中にあると彼は推測した。問題は彼の肉体、心、感情にあり、その答えは彼自身の中にある筈だった。
そして、彼自身が彼の研究所であり、そこが問題を探すべき場所だった。彼は椅子の所に向かい、答え探しを始めた。


1ヶ月の間、彼は坐り、絶え間なく自分自身を深く探った。最初に、彼は医師の命令に従おうと毎日大半の時間をベッドの上で休んでいたが、それを続けていられなくなった。彼の精神はじっとしているには働きすぎており、この新しい探求は、今まで彼が生きてきた中で、もっともワクワクするものだったからである。彼は他のプロジェクトでそうしてきたように、試す事と経験を通して熱心に自分を探索した。
彼は自分自身で一問一答を行なった。
最初に質問をなげかけ、答えが正当であるか否か確証するまで、可能な限りの答えを探った。このやり方を通して、彼は最初の大発見をした。初めて本当の答えを見つけたのである。

彼が自己探索を始め、幸福という事への答えを探してから凡そ1ヶ月後の事であった。 彼は既にいくつかの答えを排除し、もう1度自分自身に問いかけた。「幸せとはなんだろう?」と。

今回浮かんだ答えは「幸せとはお前が愛されている時に感じるものだ」この答えは単純なものに思えた。

彼は続けた。「OK.今お前は幸せだと言えるかい?幸せだと感じているかい?」

答えは「ノー」であった。

「分かった、それでは、お前は愛されていないという事だな!」というのが結論だった。

「いや、そうとは限らないぜ」と反論した。「家族はお前を愛しているじゃないか」

ここで彼は問答を止め、考えた。彼は病院で本当に具合が悪かった時の家族の心配した顔を脳裏に思い浮かべ、どこかに長期滞在し帰宅した時の家族の目に浮かんだ喜びを思いだし、「調子はどう?兄さん」と電話で話した妹のドリスの声を聞いた。その通り、彼は愛されていたのだ。それは間違いなかった。

そして、彼を愛した女性もいた。もし彼は求婚したら、すぐに彼と結婚したであろう女性を1人以上彼は思いだす事が出来た。なぜかというと、その女性達が彼に求婚したからで、彼がそれを断った時、その女性達との関係が壊れていたのである。

友人として彼を愛した男性もいた。小さい頃からずっと知っている男性、あらゆる困難を通り抜ける間、常に支えてくれた親友達、定期的に近況を伺って電話をくれる人、共に過ごして楽しんでいる友人、皆彼を愛していた。

このような愛がありながら、彼は幸せではないという事はショックだった。愛されているという事は幸せという事の答えではないという事が明らかになり始めた。彼はその答えを廃棄し、新しいアプローチを試みた。

「きっと幸せとは何かを達成した中にあるんじゃないか」彼はそう考えた。ラトガース大学の奨学生試験に通った時、ケルビネーター社が給料を上げてくれた時、最初にアパートを所有した時、ヒッチング・ポストをオープンした時、カナディアン・ランバー社の掌握した時を思い出していた。確かに彼は自分自身にプライドを感じていた。しかし幸せだったか?いや、それは彼が幸せと呼ぶものではなかった。

「それじゃあ、オレは今まで幸せな時があったんだろうか?もしあったとしたら、それはいつだったのか?」

最初の質問は簡単だった。もちろん彼は幸せな時があった。しかし、具体的にはいつだったのか?

彼はその事について考え始めた。彼が何年も前に仲間とキャンプに行った夏の日。その時彼は幸せだった。もちろん、四六時中常にそう感じていた訳ではない。それでは具体的にどんな瞬間幸せだったのか?彼の心に突然浮かんだのは、ある夏に友人であるサイがテントを張っているのを手伝った時の映像だった。レスターは彼を手伝い、お互いに笑い、自分達の友情関係に満足し、お互いに気分が良かった。その時は幸せだった。彼は思い出し笑いをしていた。今になってもその時の事を思うと気分が良かった。

「その他に幸せだった時はあっただろうか?」彼は問いかけた。次に彼が思い出したのは、友人のミルトンが大学の時に駆け落ちした時に感じた事であった。それは誰も知らる筈のない事だった。しかしミルトンは一番の親友であるレスターにだけは打ち明けたのだった。彼はその時とても幸せだった。それはミルトンが彼にだけ秘密を打ち明けたので特別に感じたからだろうか?彼は内省し、そうではないと分かった。特別扱いされたからではない。それはミルトンの顔の表情、彼の新妻について、如何に彼女を愛しているか語っている様、それらは大学を終るまで待てないというものだった。レスターは瞬間的に羨望からくる心の痛みを感じたが、しかし彼の友人の顔が愛で輝いているのを見て、レスターはミルトンのために幸せを間違いなく感じていたと分かったのだ。彼は何年も経って、目を閉じ、その情景を思い出している今でさえ、幸せが湧き上がってくるのを感じた。彼はその時まさしく幸せだったのである。

彼が過去を回想し続けている間、幸せな時を思い出すのがどんどん速くなっていった。彼はジュンの事を思い出し、車でデートに誘い、愛情で胸が躍りだし、彼女に会うのが待ちきれなかった事を思い出した。その時、彼は幸せだったのである。

それからネッティがいた。ああ、何て事だろう。彼は本当に彼女の事を長い間思い出さなかった。今でも本当は彼女について考えたくなかった。彼女にはあまりにも多くの心の痛みが伴っていた。しかし、彼女の事を思い出したのであった。彼は生涯その痛みから逃げ続けていたように思えた。そして彼は走り続ける事に疲れたのだった。我慢できる限界にきて、彼はもうこれ以上走る事が出来なくなったのであった。そこで、彼は無理をして見つめ、自分に問いかけた。

そうだ、彼はネッティと一緒にいて幸せだった。彼女との記憶が頭に浮かんだ。彼女をあまりにも愛しく思い、彼女の腕を掴んで抱き寄せようとした時の事、パーティーで彼女に思いがけなく出会い、一目ぼれした時の事。彼女の笑顔を思い出し、陽の光りで輝いている彼女の髪、一緒に勉強をしている時の彼女の真剣な表情、淡い花のような彼女の香り、彼女の笑い声、「愛してるわ、レスター」と夜に囁いた彼女の柔らかい声、そういう記憶が浮かんだ。

彼は椅子に深く腰をかけたまま、映像が流れ込み、彼の心をよぎるのに任せた。長く持ち続けた痛みも流れるままにさせた。彼の胸は、注意深く立ち上げ築いたダムを崩壊し、初めて失った恋人ネッティを思い嘆きの涙を流すまで痛んだ。哀しみは底なしの痛みと孤独感から立ち昇ってくるように思えた。何時間もそれは続くと思われたが、終った時、体力が尽き果て、弱ったように感じた。彼は可能な時に椅子からベッドまで這って行って、死人のように眠った。


朝、レスターはすっかり休息し、リフレッシュした気分で、とても早い時間に目が覚めた。目が覚めてから最初に思ったのは「ああ、あの時何が起こったんだろう?」という事だった。彼は自分の粘り強さに苦笑しながらベッドから出て、シャワーを浴びにいった。朝食の用意をしている間、彼の思考は頭の中を占めている問いの答えを探索し続けていた。

「さて、あの時に何が起こったんだろう?あの時に共通していた特徴は何だろう?サイ、ミルトン、それからジュン、ネッティ…何が共通していたんだろう?どことなく愛情が関わっていると分かっていたが、彼は最初どういう形で共通しているかが見えなかった。最終的に答えが分かった時、その答えがあまりに単純で純粋で、完璧な答えだったので、なぜ今まで分からなかったのだろうと彼は思った。

「幸せとは私が誰かを愛している時に感じていたのだ!」
各々の状況において、彼が他人に対して愛情を強く感じていた時、その時こそ、その彼自身が愛を感じている事から幸せがもたらされていたのだと理解した。

今や、誰かから愛される事が答えではないという事が彼には明確だった。たとえ人が彼を愛したとしても、彼が愛を感じていないなら、彼は幸せにはならないだろうという事が分かるようになっていた。彼らや彼女らの愛情は彼ら自身を幸せにするかもしれないが、レスターを幸せにはしないし、幸せに出来るものではなかったのだ。これは新しく驚くような概念だったし、彼は直感的に正しいと分かっていたとはいえ、昔からの科学的思考のトレーニングの習慣は、この概念をテストする事なしに受け入れる事が出来なかった。そこで、彼は過去を眺めた。彼が愛されていて幸せだった時の事を思い出し、幸福は他の人間が彼を愛している必要はないと理解した。

彼は逆の面、つまり不幸せだった時の事も考察した。今、彼は何をみるべきか知ってい た。その時、彼が愛していなかった事は明白だった。彼は、その当時ネッティとジュンと同じように彼女達を愛していると思っていたのだった。彼は彼女達を愛し、必要とし、望んでいたのだった。彼は今考えていた。それは愛だったのかと・・。違う、なぜなら苦しんでいたのだから。彼は彼女達が愛してくれなかった時の心の痛みを経験していた。たとえ彼がそれを愛と呼んでいたとしても、実は彼女達を完璧に所有したいと望んでいて、幸せになるためには彼女達の全ての愛が必要だと思っていただけだった。

これこそが解決への手がかりだった。彼はずっと「(愛を)望んでいる状態」又は、愛の欠如を経験していたのだった。誰か他の人が愛を運んでくれる事を期待しながら、彼を幸せにしてくれる人を待ち続けながら…。これが、あまりにも馬鹿馬鹿しい事に思えて、彼は笑わずにはいられなかった。
誰か他の人が彼を幸せにする事が出来ると思っていた事はこの世で最もおかしな事のように思えた。
誰も彼をどうこうさせるなんて事は出来ないというのは、自分が誰よりも知っていたのである。
彼はいつもプライドを持ち、頑固で、自分の事は自分でしてきて、他人や何かを必要とした事がないのは十分分かっていたのだ。

「冗談もいい加減にしてもらいたいよ!」

と彼は思った。真実は、彼はいつも愛を欲しがっていて、それを他人からもらわなければならないと思っていたのだった。
笑いながら涙が頬を伝っていた。これまで生まれてこのかた、ずっと探してきたものは自分自身の内側にあった事に気づき、彼は笑わざるをえなかった。頭に乗せている事に気づかずに、あちこち眼鏡を探し回っているうっかり博士のように彼は生きてきたのだった。

「ひどい話だ」と彼は思いつつ涙を拭いた。
「今までこんな事が分からなかったなんて…。今までの時間を、何年もの時間を無駄にしてきたなんて…何たる事だ」

「でも、待てよ。もし幸せというものが、オレが他の人へ愛を感じている時なのだとしたら、幸せというのはオレの内側に存在する感覚という事なのか・・」

「そして、もし過去に愛を感じていなかったとしたら、まあ、過去は変えられない事は分かっているが、オレ自身のその時の感覚を今変える事は出来ないものだろうか?愛の感覚を今変えられるかな?」彼は試してみる事にした。もっとも最近の不幸せだった事 について考えた。それは病院を退院した日だった。

「まず、あの日、オレは愛の欠如を経験したか?」彼は自問した。

「そうだ」彼は声を出して答えた。「誰一人としてオレの事を気にしちゃいなかった。看護師も、事務員も、シュルツ先生でさえもだ。あいつらはお構いなしだった。オレが具合が悪いのに、やつらは私を放り出し、死ぬために家に帰したのだ。やつらは自分達の失敗を見ないで済むからな…冗談じゃない。やつらは皆地獄行きだ」 彼は自分の激しい声にショックを受けた。彼の体は怒りで震え、体が弱々しく感じた。彼は本当に医師を憎んでいた。その憎しみが胸の中で焼けるように感じられた。彼は思った。「何てことだ、確かにこれじゃ愛ではないな」

「さあ、これを変えられるかな?」彼は自問した。「先生に対して、この憎しみを愛に変えられるかな?」

「いいや、無理だ」彼は思った。「何で愛に変えなければならないんだ?先生は愛を受けるに値するような事を何かしたか?」

「それは問題じゃない」彼は自分でそれに答えた。
「問題は彼が愛を受けるに値するかどうかじゃあない。問題はお前が愛に変えられるかだ。ただ嫌悪の感覚を愛の感覚に変える事が可能か?それも他人の恩恵のためにではなく、お前自身のために」

そんな考えが頭をかすめると、彼は何かが胸から解き放たれたのを感じた。穏やかに緩む、溶けるような感覚で、焼けるような感覚は無くなっていた。最初、彼はそれを信じられなかった。あまりにも簡単なように思えたので、もう1度シュルツ医師との病院でのやり取りを頭に描いてみた。驚いた事に、前に感じた強烈な焼けるような憎しみよりも、軽い憤りが生じただけだった。彼は同じ事がもう1度出来るか考えた。

「ええと、今どうやったんだっけ?…ああ、そうだ。怒りの感覚を愛の感覚に変えられるかな?

胸の中で怒りが解けるのを感じながら、彼は一人静かに笑った。それで怒りは完全になくなり、彼は幸せだった。
もう1度シュルツ医師の事を考え、彼の姿を頭に描いたが、幸せに感じていた。愛情さえ感じていた。最後に会った時の事再体験しながら、シュルツ医師が彼に言わなければならなかった事を言うのを嫌がっていたのが、今の彼には分かった。
働き盛りの若い男性に余命いくばくもない事を告げなければならなかったその医師の苦悩を彼は感じる事が出来たのである。「シュルツ先生、全くあなたという人は・・・」
彼はニコッとしながらこう言った。「愛していますよ」

「さて、これで1つ終った」彼は考えた。「もし私の理論が正しければ、全ての事に効果がある筈だ」
彼ははやる思いで他の時について試みた。
その結果は一定して同じものだった。もし反抗心や怒り、嫌悪の感覚を愛に変えられるかどうか自問する度に、何かが解けるプロセスが生じた。

その人物に対して愛だけを感じるようになるまで何度も何度も繰り返さなければならない場合もあった。ある時は、全てのプロセスが1,2分しかかからなかった事もあれば、ある特定の人物や出来事に彼の感覚が愛以外になくなるまで何時間もかかる事もあった。
しかし、彼は根気強くそれぞれの人や出来事に対して完全に終るまで留まり続けた。

彼の人生全体が少しずつ切れ切れに見直された。1つずつ、彼は古い心の痛みや 失望した事全てを愛に変えた。心の痛みが少しずつ減っていくと、彼は自分が丈夫になっていく感じがし始めていた。
今まで生きてきた中で一番幸せに感じていた。
そして、それぞれ新しく事が修正されるとより一層幸福感が増すのを感じながら、そのプロセスを続けていった。

彼はベッドに向うのを止めていた。なぜなら、あまりにもエネルギーが満ち溢れていたので横になどなっていられなかったのである。
疲れたと思ったら、椅子でウトウトし、1時間かそこら後に目覚め、プロセスを再開するのであった。
あまりにも彼の人生には正されるべき事が多かったので、ありとあらゆる所を見るまでこのプロセスを止めたくなかったのである。


もう1つ彼が興味をそそられたのは、どの程度までこの状態を持ち続けられるかという事だった。
各々の出来事を正した後、彼は幸せになり、それを感じる事が出来た。しかし、どれ位までいけるのか考えたのである。
幸せに限度はあるのか?ここまで彼は何も制限は感じなかったので、その可能性は驚異的なものだったのである。そこで彼は24時間、絶え間なくプロセスを続ける事にした。

彼の体力は回復していたが、心を動揺させたくなかったので、社会活動に関わる事を避け、日曜日の家族の集いも辞退する時もあった。
食料品も深夜2時か3時辺りに買うようにしたのである。その時間帯は人も少なく、彼は街の静けさを楽しんだ。
人生の修正を続け、必要な手続きをとっている間も修正を行なっていた。そして店の中にいる人や街にいる人が彼をイライラさせたり、ムッとさせた時、即座に、又はその後短い時間に愛情でその反応を修正する事が出来る事に気づいた。これには喜んだ。そして自分で可能だろうと思っていたよりも遥かに強力に他人を愛している自分に気づいたのだった。この事を何年も後に彼はこう語っている。

『私が人と付き合うなかで、相手が何度も何度も私が嫌いな事を行ない、“愛のない(Non-Love)”感覚が私の中に存在したら、例え相手が私に反感を持っていたとしても、すぐに私はその相手を愛するように態度を変えました。最終的にどれだけ反感をもたれていたとしても、彼らに愛情を感じている状態を維持出来るようになりました』

彼は約1ヶ月間、人生の修正を続け、一定の成果を挙げてきたが、ある日、途方に暮れてしまった。彼は最後にネッティと会った時の事、ネッティがレスター以外の男性を選んだ日の事にワークしていた。彼女に対して多くの心の痛みを既に修正してきたが、彼女はレスターの心に何度も何度も現れ、それは安楽な事ではなかった。実際に昔の人間関係にワークするのは最初はとても難しかったが、次第に彼の強さが回復してくると、長い間埋もれていた感情に向き合い、それを修正する事が出来るようになっていた。

しかし、その日は特別だった。どんなに愛で修正しようとしても、解消できない絶望感があり続けたのである。彼はそれから逃れたかった。椅子から立ち上がり、何かを食べたり、この強烈な感情から逃れさせてくれる何かをしに、どこかへ走っていきたかった。しかし、そうする代わりに彼は、その感情を扱えるようになるまでそのままでいる事に決めたのであった。何かが彼に語りかけた。もし彼がそのまま感情に振り回され続けるなら、その戦いに敗れたなら、彼は完全に敗北するだろうと。彼は椅子に座ったまま、これを乗り切る事を決意した。

彼は心の内を探った。「どうしたんだろう?どうしてこの感情が解けないんだろう?ネッティ、ああ、ネッティ」 彼は泣き始めた。涙が頬を伝い、2人が別れたその日、封じ込めた心の痛み全てが洪水のように押し寄せていた。「なぜ他の男を選んだんだ、ネッティ?」彼は泣き叫んだ。「なぜオレから去っていったんだ。オレ達はあんなに幸せでいられたのだから、結婚しても幸せでいられただろう」

「くそっ!」彼は思った。「どうして人はこんな事をするんだろう?自分の幸せどころか他人の幸せも棒に振ってしまうなんて。そんな事をする権利はないんだ。そんな事が許されていい筈がない。何か彼らを変える方法がある筈だ。彼らが行なう事を変える方法が、彼らが他人に対して与える影響を変える方法が…」

彼は胃潰瘍が再び痛み出したのを感じた。そしてネッティに振られた、まさにその日に 潰瘍が始まった事を理解していた。彼はあの日ビールを飲み、吐いた。それが潰瘍の始まりだったのだ。彼はそうでなかったらと思った。この世のどんな事よりも、彼はあの日あった事を変えたかった。彼はあの日に戻り、ネッティが彼を選び、結婚し、その後ずっと幸せに暮らすという形でやり直したかった。

「なあ、変える事など出来ないんだよ、間抜け」彼は自分自身に叫んだ。「だから、そんな事は止めといた方がいいぞ」彼は驚いた。20年以上も前に終った事を、自分はまだ変えようとしていた事が見えたのである。

「いや、まだ終っちゃいない」彼は泣いた。「終らせないぞ」今や彼の喉は痛み、叫んで、ものを壊したくなるような感じがしていた。

その時、インスタント再生のように、彼は自分が言った事を聞いた。「終らせないぞ」。それこそが彼の苦悶の源だったのだ。彼は何年もの間、それを変えたいと思い、彼の内部で生かし続け、その痛みは深く埋められ、彼の幸せを蝕んでいたのである。

「ああ、勝手にしやがれ」彼はほとんど皮肉でこういった。突然、その決心によって、全てが無くなった。彼は信じられなかった。心の痛み、苦痛、絶望感を感じていたのが、それらが全て失せてしまったのだから。彼はネッティを思い出したように考えた。若く美しい彼女を。彼はただ彼女を愛していた。そこには昔の痛みのある感覚は全く残されていなかった。

彼は、この新たな方向性を検討し始めた。胃潰瘍の原因は、あらゆる事、それは最も身近な事から世界の果てまで、合衆国やその他の国、政府の長、天候、今まで見た映画の結末、ビジネスの経営方法、税金、軍隊、大統領、そういった事を変えたいと望んでいたからだと彼は理解した。彼が何かにつけ変えたいと望んでいないものは、無いに等しかったのである。

何という啓示だろう!彼は自分自身を、彼が変えたいと思う事全ての犠牲者であり、被害者として見ていた。それら全てが解け始めた。彼が人や出来事に関して痛みの原因になる何かを思うと、今やそれを愛に修正するか、それを変えたいという願望を溶解させるのだった。

これで彼のワークに新しい要素が加わり、彼の進展は加速した。2ヶ月目が過ぎようとする頃には、椅子に座っているだけなのにも関わらず、エネルギーが満ち溢れるようになっていた。人生の中のとりわけ苦痛だった出来事にワークした時は、文字通り座っていられなく、街へ出て何マイルか歩き、過去を回想し、修正し(不快感を)溶解し、再び座って(ワークを続けられる)いられるまでエネルギーを消費する事もあった。

彼はまるで修正が必要な出来事がたくさん繋がった鎖を持っていたように感じる事が時々あった。いったんその鎖を彼が手にすると、修正する事がなくなるまで、出来事から出来事へと鎖を辿っていったのだった。このような鎖の例の1つは「嫉妬」である。

彼はいつも激しい嫉妬心を持っていたが、ほとんどの場合、無関心を装って、その嫉妬をうまく隠していた。それでもなお、もし彼が一緒にいる女性が誰かをじっと見ていたりすると、彼の内部では嫉妬の炎が燃え盛るのだった。彼はこの自分自身にある癖を正そうと決心すると、否応なしに嫉妬するのを良しとしないように、原因を探した。

彼はまるで自分の嫉妬心に支配されたような出来事を思い出し、それを修正し、更に次の出来事を探した。その出来事が修正されたと思った時、彼が愛した女の子が、彼がもっとも彼女と一緒にいてほしくない他の男性と愛し合っている場面を想像する事で自分をテストしたのだった。更にワークが必要かどうか即座に分かるので、これは良いテストの方法だった。感情が激しいあまり、気が狂いそうになる事もあったが、彼は嫉妬の痕跡が自分の中に全くなくなるまで何日もこのプロセスを続けた。最終的に、お互いの喜び、楽しみを楽しめるようになった時、彼は嫉妬についてワークが完了した事を知ったのだった。

洞察が訪れる頻度がどんどん増大するようになっていた。ずっと彼には謎だった事が突然完全に理解出来るような事がしばしば起こった。彼が昔学んだ哲学が明快になり、彼は人々が正しい方向に向ってスタートするけど、結局は歪んだ方にそれてしまうのは、(哲学の本の)著者達自身の修正されていないままの感情の貯蔵庫から湧き上がる過てる考えによって迂回させられているのだという事が分かった。

彼は自分の精神が、水晶のように鋭く、クリアになっているのを感じ始めた。色彩は明度を増したように見え、あらゆるものがどんどん鮮明になっていた。


私が感じたある種の大いなる自由があります。その自由さのために、それに集中するのは簡単な事でした。そこで私は更に自分の心を深く探りました。「私の心は何なのか?」という事を。

私は自問しました。「インテリジェンス(知性)とは何だろうか?」と。

すると、突然、遊園地のバンパー・カー(ゴーカートのような電気自動車)の映像が頭に浮かびました。小さく丸い車にはそれぞれ柔軟性のあるポールが後部にあり、そのポールは天井に広がっている網につながれています。その動力は、ただ1つのソースである天井から供給され、後部にあるポールへ伝達されているのです。エネルギーの供給量は、それぞれのドライバーがペダルを踏む事によって調整されるのです。

これがバンパーカーの運転を面白くさせているのです。操縦するメカニズムは非常に敏感に出来ているので、車のコントロールを維持するには、ハンドルさばきに最大限の繊さが要求されるのです。なぜなら、ほんの少しの車輪の動きが疾走している車に伝わり、お互いの車がぶつかって、コントロールを失うからです。そして、ドライバーが車をコントロールしようとすればするほど、不安定な動きになってしまうように思われます。これは今日の人間社会を描いています。私たちは皆、同じ単一の知性(インテリジェンス)を使用していて、その力は上から得ています。しかし、私たちの大部分はコントロールを失い、エネルギーをお互いが衝突する事に使っているのです。

しかし、私は自分自身が用いるために、その力と知性の量を調節する事が出来、それをコントロール出来る事が分かってきました。それに気を良くして、私は深く探究し始めました。

私は考えるという事、そして何が起こったかという事との関係性について観察し始めました。何が起きたとしても、その背後には前もって1つの考え(想い)がある事が分かりました。想いと出来事との間には時間の要素があるために、私がこの2つを今まで関係づける事をしなかったのです。

しかし、私に起こった出来事全ては、それが起こる前に私が想ったという事に気づきました。そして、もし私がこの概念を持ち、それを用いる方法を見つけることが出来たなら、これから私の身に起こる事をすべて前もって確定させる事が出来る事に気づいたのです。

何といっても、私は、私の身に生じたあらゆる事に責任があり、かつてこの世が私を酷使していると考えていた事が分かりました。そして、お金を儲けるために猛烈に努力し、それを失った事は、私の思考が原因だった事を理解しました。つまり、私がいつも幸せを求め続け、お金を儲ける事が幸せになる事だと思っていたのです。お金を儲けるためにビジネスを始める時はいつでも、お金は私が求めていた幸せを運んでは来ず、私は興味を失って、破綻するのでした。私はいつもそれを他人や環境のせいにしていました。その原因は単に私の潜在意識の知識で、金を儲ける事が幸せではないという事から、私に興味を失わせ、次にビジネスを破綻させたのだと理解していなかったのです。

私はこの世界の犠牲者ではないと思う事、私が望むようなやり方でこの世を取り計らう事は私の力にかかっている事、その力の影響よりむしろ、私は今や力をコントロールし、私が望むように取り計らう事が出来るというのは途方もない自由でした。絶大な認識であり、絶大なる自由の感覚でした。

私が愛する事と幸せとは同一であるという発見、そして私の想う事が人生で私に生じた出来事の原因であったという事、これらは私にどんどん次のような自由を与えてくれました。
働かなければならない、お金を稼がなければならない、ガールフレンドがいなければいけないなどの潜在意識の衝動からの自由です。

私は今、自分の運命を決める事が出来る、私はいま自分の世界をコントロール出来ると感じる中にある自由は、私の内なる重荷を本当に軽くしてくれたので、もう何もする必要がないのだと感じるほどでした。

それに加えて、この幸せというのは本当に偉大でした。それは私にとって新しい経験でした。かつて存在しているとは思わなかった、可能だとは夢にも思わなかった喜びを私は経験していました。そこで私は「これは素晴らしい。この喜びが行き渡るまで止めないぞ」と決意しました。

一人の人間がどれだけ喜びに満たされる事が出来るのか、私には全く分かりませんでした。しかし、私はそれを見つけてやろうと心に決めたのです。


3ヶ月目の間、物事はより急速に進んでいた。彼を時折ひどく驚かせるような感覚の深まりがあった。彼の膝は時折崩れ落ちたが、それが修正されるまで彼は各々の感覚に止まり続けた。

彼はどんどん幸せになっていったが、この新しいプロセスによって到達し得る事に限界があるかどうか、まだ探求していた。
「どれくらいまで行けるだろうか?」
彼は自分自身に問いかけ、推し進めていったのである。

彼が思いがけなく、昔からいつも目の片隅で見てきた敵視していたものに出くわしたのも、この3ヶ月目の事だった。いつも周辺をこっそり動いて、以前だったら絶対に正面から出会いたくない相手だった。それは死の恐怖だった。

その「死の恐怖」が、彼が今まで感じてきたあらゆる感情の基盤になっている事を、彼 は今や認識していた。彼は「死の恐怖」をうまく明るみに出して、たった数ヶ月前、戦いに殆ど勝ちを収めるところだった強敵をじっくり観察したいと思った。彼は死の恐怖の感覚を無防備にさせ、溶解させた。そして、このやり方は効を奏したのである。

彼は、今まで生きてきた間中、ずっと下から火であぶり、一時たりとも本当の平和を感じさせなかったこの敵に対して、この上ない自信と共に笑いとばすような境地に達していた。この怪物の生き残りは、結局はただの感情だったのである。

死への恐怖を溶解させ、彼はある日体が治り、健康である事を認識した。肉体の障害は治っていた。
どうしてそれが分かるのか他人にはうまく説明出来なかったが、自分が誰であるのか分かるのと同じくらいの確かさでその事が分かったのだった。
彼の肉体は健康だったのである。

3ヶ月目の終わりまでに、彼は体全体を無数の絶頂感(オーガズム)が一挙に押し寄せるとしか言い様がない、この上なく幸福で楽しい状態になっていた。
その状態は延々と続き、彼はこの状態(性的なものではないが)を、求め続けていたが、SEXからは見つけられなかった状態なのだと悟った。
彼は数週間、刻一刻と喜びが彼の内部で爆発している状態で過ごし、軽やかに感じていた。
彼にとって、あらゆる人、あらゆる事がこの上なく美しいものになっていた。
彼は修正する事を更に探し続けたが、そんなにないように思えた。
時折何かが彼に起こっても、彼がその意味を明らかにする前に殆どが消えていた。そしてより強烈に喜びが彼に押し寄せるのだった。

数週間後、彼はこの喜び以上の何かがあるのだろうかと考え始めていた。いつもの場所にある椅子にドサリと座り、足を伸ばし、顎を胸につけていた。答えを期待せずに意味もなく考えていたが、その答えはやってきたのである。

この信じられないような、止まる事のない喜びの状態以上のものは、どんな状態だろう?
彼はそれが平和で静まったものだと分かった。そして、もし彼がそれを受け入れたら、彼がその平和な状態になる事を決意したら、その状態は決して消える事はないだろうと、確信と共に自覚した。
そして彼は何の努力を要する事なくその状態に入っていった。ただその状態でいようという決意をしただけで、彼はその状態にいたのである。

あらゆるものが止まっていた。彼は静寂の中にいた。彼は今や理解していた。ずっとこの静寂の中にいたのにも関わらず、未修正で蓄積された過去からの絶え間ない雑音によって、その静寂を打ち消していたのだと。
実際には、その状態は静寂以上のものだった。あまりにも想像を越えた状態なので、この平安さの喜びや快さを表わす言葉がないのだ。

彼の幸せに対する最初の質問も答えがあった。幸せに制限はないが、その幸せを毎分持つようになった時、退屈する事になる。
次に、この平和な状態はそれを超越しており、そのために、やらなければならない事は一線を越えて、その中に入る事だった。

「更にこれを越えた何かは存在するのだろうか?」と彼は考えた。しかし、彼が問いを発した時、彼にはその答えが分かっていた。

この安らぎは永遠に不滅なものであり、あらゆる生き物のエッセンスだった。たった1つの存在があり、あらゆるものが「それ」なのである。
あらゆる人は「それ」であるのに、その真実に気づかないでいるのである。
修正されないでいる過去を持ち続けて、その過去によって真実が見えなくなってしまっているのである。

レスターは、この「存在」を櫛(くし)のようなものだと見ていた。彼は櫛の根のところに存在し、そこから全ての歯が広がっていて、それぞれの歯は独立していて、他の歯とは異なっていると考えているのである。
それは事実なのだが、それは櫛の歯の先から見た時の話である。
あなたが根の部分、源にまで戻れば、歯が1本1本存在するのは真実ではないと気づく事が出来る。全ては1つの櫛なのである。本当に分離独立しているものはないのだ。あなたが歯の先からものを見ている場合を除いては…。全ては視点によるのだ。


もし、それらの事が真実であるのなら、彼が選択したいかなる焦点にも波長を合わせられる筈だとレスターは考えた。もし彼が櫛全体なのだとしたら、どんな歯にもいつでも波長を合わせられる筈だと。

彼はカリフォルニアに住む友人の事を思った。いま彼は何をしているのだろうと考えた。すると、レスターはその友人の家のリビングルームにいたのである。彼はその部屋や部屋にいる人達、その人達と友人が座って話しているのを見ることが出来た。レスターはすぐにその友人に電話をした。「君がどうしているかと思ってね、電話をしたんだよ」レスターは言った。「君はいまリビングルームにいて、3人の人がそこにいるね…」彼はその部屋の詳細、そこにいる人、いまその人達と何を話していたかを友人に話した。レスターは受話器の向こう側でハッと息を呑む音を聞いた。そしていま自分が話した事は事実かどうか尋ねた。

その友人は答えた。「その通りだよ。でも、一体どうして君にそれが分かったんだい?」

笑いながらレスターは言った。「オレはそこにいるんだよ。君には見えないのかい?」

長く沈黙が続いた。レスターはパニックになるのを感じ、又、いま感じているパニックは友人が感じているものだと驚きながらも分かったのである。
彼はまるで友人の内部に存在しているかのように感じた。その友人と同じように感じ、考えているように感じたのである。これは全く新たな経験だった。そして、突然彼は友人に変わったのである。事実、彼は他の人全てだったのである。なぜなら、彼の核の部分は全ての核であったからである。

彼は宇宙という櫛の根に座っていたのである。彼は新しい視点を持ち、あらゆる事をそこから見る事が出来たのだ。

その友人の恐怖をやわらげるため、彼はこう言った。「おい、やめてくれよ。オレをからかってるのかい?オレがそこにいる人の事や誰が何を言ったのか話した時、君は冗談を言う権利がオレにあると言わなかったかい?まさか本当だったという訳じゃないだろう?」

友人が次のように答えている時に、レスターは友人のパニックが治まってくるのを感じた。「レスター、君はなんて奴だ。今までの話は皆君の作り話だったとでも言うのかい?」

「もちろん、全部オレが作ったのさ。オレを何だと思ってるんだい?気が違ったとでも思ったのかい?全部ジョークだよ」

「いや、実際しばらくはそう思ったよ。君が話した事は全部本当だったから」友人は今では笑っていた。

「おー、それはファンタスティックな偶然だね」レスターは言った。
「さあ、君の仲間に君を返さないとね。ニューヨークに来た時は電話してよ。飯を食いにいって、またこの話をして笑おうぜ」

「分かったよ、レス。またな」

これからはもうちょっと気をつけなければと思いながら、レスターは電話を切った。人は非常に狭い条件でものを考え、非日常的な事は受け入れられない事を彼は忘れていたのだった。

突然、彼はほんの数ヶ月前の自分自身について思い出した。このような事を彼に話そうとする人間を皆狂人だと彼は考えていたのだ。何て凝り固まっていたのか、何て器量が狭かったのか、如何に制限されていたのか・・そして今、彼はこの自分の変化に高笑いをするのだった。

『私が探求を始めた時、私は非常に確信を抱いた唯物論者でした。私にとってリアルなものは見る事、感じる事、触れる事が出来るものが全てでした。
私の世界はコンクリートのように頑丈なものでした。
それから、この世界は自分の心の結果なのであるという事、ものには知性がなく、私たちの知性と想いは全ての物質とそれに関わる全てを決定づける事、これらの啓示を受けた時、私が以前抱いていた堅実性はただの考えだと分かり、頑丈なコンクリートの基礎はひび割れ始めたのです。
今まで築き上げてきたものはひっくり返り、私の体はショックに次ぐショックを受けました。それは何日も続きました。私は神経質な老人のようにショックを受けていたのです』

『この世界を頑丈であるという視点に再び変わる事は決してないと私には分かりました。しかし、そう簡単には優雅に消えていってはくれませんでした。私があらゆる事を揺さぶっていると思うまで、数日の間、私は実際に動揺しました』

『それから、私の視点は数ヶ月以前のものとは正反対になっていました。リアルで頑丈なものは物質世界ではないと。精神でさえないと。そういったものよりも遥かに偉大なものであると。それは私の本質(エッセンス)であり、私の真の存在こそ現実で、そこには限界はなく、永遠で、私が以前自分だと思っていた全ての事、例えば体や心は、私の全てというよりも、ほんの微細な部分に過ぎないのです。その私の全てが私の存在なのです


1952年の4月、彼は静けさの状態へ入る最後の解決に辿りついた。「私が死にかけてから、まだたった3ヶ月しか経っていないのか?」彼はそう思っていた。彼にとって、このような短い期間に自分の身に起こった事は全て信じる事が難しかったのである。それは、まるで無数の転生を経たようにも、しかし一瞬の出来事のようにも思えたのである。

彼の時間に対する感覚は過激なほどに変わった。時間について彼が考える時、彼は静けさの中から、時間というものは存在しないと悟ったのである。あるのはいつも「いま」である。時間とは相対的なもので、分離した、違いのある世界にしか存在しない。彼の存在するところは、全てのものが同じであり、同じ本質から成り立っていて、同じく言葉に表現出来ないくらい美しく、宇宙の全ての粒子に備わっている偏在している平和なのである。

彼がその平和な存在である時、彼の肉体は小さく、椅子の中に離れて座っているように思えた。彼がそう選択する時、彼は肉体をそのように見る事が出来たが、自分自身を宇宙全体に行き渡っているように感じていたのである。肉体は彼の広大さの中にある極小の一辺に過ぎなかった。彼は偏在しているのだった。旅行などはなく、想っただけで彼はそこにいたのだった。

『私は、以前自分が肉体と心であると思っていたが、そうではない事は明らかだった。ただ分かったのです。それが全てです。あなたもそれが分かれば単純な事だと分かるでしょう』

『ですから、体と同一化する事を手放しました。手放した時、私の存在はすべての存在であり、その存在は大きな海のようなものだと分かりました。大海の一滴と呼ばれるような分かれる事がないもので、全て1つの海なのです

『それによって私は全ての生き物、全ての人、宇宙の全ての原子にさえ同一化するようになったのです。そしてこれは途方もない体験で、言葉には表現出来ないものです。まず、あなたはこの宇宙があなたの中にあると分かります。それから宇宙があなたであると分かります。次にこの宇宙が1つであると知ります。それから分離して永遠に終了し、全ての最悪な事は、分離する事によってのみ起こるのです

『それから、あなたはこの世界の外見上の制限にまどわされる事がなくなります。それが夢であり、見せかけであると分かるのです。なぜなら、あなたの本質そのものには限界がないと分かっているからです!

『それはとても面白い旅でした。私が経験した事が実在しているとは全く知りませんでした。心にこのような力があるとは知りませんでした。しかし、私はいかに心が私をだますか知っていたので、次のような行動原則を持ちました。「私は自分が出来る事しか知らない」「私に何が出来るだろう?」と自分自身に問う時、私は毎回ショックを受けました。そこで、何でも出来るようになるまで実験をし続けたのです』

『私は実験を続け、素晴らしい事が明らかになりました。「もし私がこれこれこのようなものであるなら、それが出来るのか?」と私は問いかけました。

「もし私は全能であるなら、その能力を発揮出来るのか?」

そして、能力が私にやってきました。そして、少なくとも2人の目撃者にそれぞれ私は実証したのでした。
私は物理学者として訓練を受けたからです。
物理学者は、いつでも研究室に行き、実証しなければならないのです。
それは良いトレーニングだったと思います』

『私が最初に行なった事をお話ししましょう。テーブルの上にコップがあり、誰かが部屋に入ってきた時、私はこう言ったのです。
「このコップを心の力でテーブルの反対側まで動かす事が出来るよ。君は信じるかい?」と。
もし「イエス」と答えたなら、コップは直ちに動きます。もし「ノー」と答えが返ってきたら、コップはそのまま動きません。

私は他の人達に押し付けようとはしませんでした。もしそれを受け入れられない人がいたら、その人を困らせたくなかったのです。
もちろん、最初からそうだったわけではありません。
過ちを私も犯しました。そのせいで、私から去っていき、口を利かなくなった人さえいます。
私は口を慎み、人の信念や確信の邪魔をしない事を学びました』

どんな疑いをも越えて、彼がバカにしていた力をまさしく獲得したという事を実証したら、彼はその力自体が、彼が自分自身や他の人を驚かせたり、娯楽のために、その力にしがみつき、開発しようとするためのワナだと分かった。
そういった力はそれ自体が目的ではない。そこで彼は手放し、先に進んだ。後に、誰かが自分自身の限界を突破するために実証を必要とするような状況になった時、非日常的な事が起こるのであった。
しかし、レスターはその力を行使しているようには決して感じなかった。彼はただ純粋な触媒として存在し、エゴの入り込む余地はなかったのである。

彼はまた知性の源を悟っていた。彼にはたった1つの知性のみが存在し、私たちは皆それを持っている事を知っていた。それ故、無限の智慧、全知が皆に利用可能なのである。そして、彼はそれが同じ力であり、皆無限の力を持ち、全能であると知っていた。

全知全能は私たち一人一人の中にあるのだ。

知性やエネルギーの源について考えていて、私はそれらも無限に手に入れる事が可能であり、その知性やエネルギーは、かつての衝動強迫、抑圧、人間関係のもつれ、コンプレックスによって自分自身への感じ方から来るものである事を発見しました』

私はあらゆる事の対象になる必要はありませんでした。この事が見えた(分かった)事は能力が以前では決してなかったような勢いで、心の背後で流れるようになりました。』

『私は、以前にこのエネルギーと、その力をダムを作ってせき止めていた事に気づきました。私がやらなければならない事は、そのせき止めている丸太を取り除く事でした。それだけです。それぞれの事を発見していく上で、私は丸太を取り除き、この無限の流れを流れるままにさせたのです。ちょうど水をせき止めている丸太を1つ1つ取り除けば、水が流れ出すように。そして、丸太を取り除けば取り除くほど、その流れは大きくなります。ですから、あなたに必要な事は、丸太を取り除き、無限のエネルギーと力を流れさせる事だけなのです

『私が自分とは何かという事を自覚した時、あまりにもたくさんのエネルギーが私の中に流れ込み、椅子から飛び上がった事があります。そこで私は正面のドアに向かい、何時間も歩き続けました。それを何日も続けた事もあります!私は自分の体がこんなにたくさんのエネルギーを収容できないので、走ったり歩いたりして、エネルギーを消費しなければならないと感じていたのです』

『早朝のニューヨークの街を、程よい速さで、他に何もしないでただ歩いていた事を思い出します』

こういった実験を終了する頃には、彼は自分自身に、全ての客観的物理現象の源は心である事、自分自身で限界を設けなければ、心は無制限であり、それは万人にとっての真実である事、そこには例外はない事を実証していた。本質的に全ての人は、その人が意図した事や欲望は何であれ、所有し、そのように存在し、行なう能力を持っているのである。

それぞれの心は全知全能であるという実感は、彼を最終的に椅子から立ち上がらせ たのだった。彼は誰か他の人に自分が発見した事を分かち合いたかった。その人自身が発見出来るように役立ちたかったのである。それぞれの人が、この信じられないほど美しく途方もない存在である事を知ってほしかった。


彼は最初に、すでにそのような方向性を見つめていると思われる人達、形而上学を学ぶグループに向った。新聞を見て、ニューヨークでは様々なグループが毎週ミーティングを行なっているのを見つけた。そしてそこに参加し友達を作り始めた。

『3ヶ月経った後、私は家からたった2ブロックしか離れていない形而上学のグループに参加しました。シェファー博士のグループです。彼は生徒達を正面に呼び出し、話をするように求めました。彼が最初に私を呼び出した時、やりたくないと彼に伝えたので、彼は私を飛ばしました』

『その時、彼が私に話をするのを求めるのを止めた時、断るのはバカバカしいと気づきました。私が人前で話をしなかった理由は、昔の癖がまだ残っていただけなのです。しかし、その癖の有効性は完全に無くなっていました。その強迫性は無くなっていて、その傾向は残っていましたが、まるで焦げたロープのようなものでした。もしあなたが焦げているロープを持ち上げようとしたら、それは粉々になるだけです。ロープのように見え、ロープのように思っても、その強さはありません』

『それが分かり、私は前へ出て行き、話をしました。人生で初めて!60人もの人の前でです。私が前へ出て行った時、あがってなかった事に驚きました。私は彼らを見て、彼らも私を見ていました』

『そして、私が話しながら、背後では2番目に起こっている事がありました。「おー!」私は考えていました。「これは簡単だ。こんなに人前で話すのが簡単な事だなんて知らなかった!」そして、これが私の人生で人前に立ち、話をした最初の経験でした』

レスターは形而上学に関する本を読み始めた。そして、彼が経験してきた事は、他の人によっても経験されていた事を知り嬉しく思ったのだった。事実、このテーマに関して入手出来る文献は多数存在する。

彼はしばしば、自分が新しい友人達の注目を集めている事に気づいた。なぜなら、彼らは自分達が求めている深い個人的経験をしている人物に今まで会った事がなかったのである。彼らはレスターがとても話しやすい事に気づき、彼から個人的な平安な状態にいかに到達したかを聞きたがった。実際のプロセスを言葉にする事は難しかったが、人と個人的に深いレベルまで話をする事で、蓄積された感情的なブロックから、その人を解放する手助けになるような言葉が見つかる事に気づいた。


この頃に彼が主に話していた事は、一人一人の存在の内的完璧性についてだった。彼は語りながら、心の中では他の人を完全で、全知で、全能な存在だと観ていた。その知覚がその相手に相当な高揚感を与えたのである。

しかし、彼のビジネスでの長い経験から、頼まれるとレスターは実務レベルでしばしばガイダンスを与えた。1953年に、彼は自分の業績にも関わらず、100万ドルをまだ稼いでいなかった事にふと思いついた。彼はまた、多くの新しい友人達が貧乏でないと彼らが本で読んだ自由を手に出来ないという印象を持っている事に気づいていた。彼らの多くは安らかな状態は1つの欠乏状態であると解釈していた。「物に対する執着を手放しなさい」「物によって幸せにはならない」というような忠告は、内面的平安を達成するためには、抱負やお金、繁栄、豊かさなどを諦めなければならないという意味に誤解されていたのである。

そうではなく、自由でない状態を創り出すのは、お金や物に対する執着であり、この執着自体はただのフィーリングであるとレスターは分かっていた。彼は自分自身の経験から、全てのフィーリングは修正する事が可能であり、手放す事が出来ると確信していた。そこで、ひどく執着しなくても、この世で物事を成し遂げる事が可能であり、霊的な自由は欠乏を意味するのではないという、この2つを証明するために、彼は100万ドルを手に入れようと試みたのである。それとは逆に、自由とは何でも所有し、存在し、行なえる能力を意味でするのである。しかし、その能力について話す事とは別に、実際に実行するのが能力を実証するための唯一の方法なのだった。彼はニューヨーク市の不動産で自分の主張を実証する事にした。

1953年、彼は即金なしにアパートを買い始めた。彼はそれを利益のために貸すか、手っ取り早い利益のために売る事にした。6ヶ月以内に、彼は純資産で100万ドル以上を遥かに上回る金額を手にしていた。

『私は現金なしで不動産ビジネスを始めました。そしてアパートを担保と融資で購入しました。何の努力もせず、私は、それぞれ20から40部屋あるアパートを23件買収しました。それが簡単に出来る事だと気づいたからです。

全ての契約は大変円満でなければなりませんでした。契約に関わる全ての人が恩恵を得なければなりませんでした。もしブローカーが関わっていたら、そのブローカーに全額手数料が受けられるようにしました。売主は望む物件を手に入れる事で恩恵を受け、売られました。もし弁護士が関わっていたら、その人も分け前を得ました。あらゆる契約で関わっていた全ての人が恩恵を受けました。

あらゆる契約がそうあるべきなのです。誰かが苦しむ必要はありません。

全ての人がその契約から望むものを得るべきなのです。あらゆる人が恩恵を受けるべきなのです。

全ての売り手は売りたいと望んでいます。全ての買い手は買いたいと望んでいます。私は調和こそがこの宇宙の法則であり、私たちがその調和に波長を合わせる時、物事は少ない労力で為し得るのだと分かりました

「次のステップは何だろう?」彼は考えた。彼は新しい理論をビジネスに応用出来る事を実証した。彼は100万ドル以上を手にしていた。次に実証を待っているのは何だろうか?

まもなく、富を蓄えることの必要性は安全保障にはならないという事が彼の頭に浮かん だ。富を蓄えても全てを失うかもしれないのだから。また、蓄えようとする要求は、自在に必要なものを生み出すその人の能力への確信の欠如を示しているのだった。それ故 、彼は「たった今から、私は自分が必要としている時、必要としているものを所有する」と 決意した。そしてもう1つの理論の実証を開始したのである。


『クリスマスの数日前の寒い日でした。私は暖かい土地に2週間のバケーションに行き たいと思いました。

ロサンジェルスはニューヨークよりかなり離れています。そこで私は言いました。「よし、クリスマスから新年の休日までロサンジェルスで休暇をすごそう」

「あらゆる事がうまく行き、手配されている」という事に自信を持って、私は荷造りをし、家を出ました。1ブロック以内で私は何年も会っていなかった一人の男性と出くわしました。彼は「ヘイ、レスター!ずっと君を探していたんだ。君に金を借りていたのを覚えているかい?返そうとずっと思っていたんだよ。君に何があったか知らなくてね」と言いました。そして私にロサンジェルスへの往復切符が買えるだけのお金を手渡しました。そのお金で切符を買ったのですが、それでその男性はすぐに去っていきました。

ロサンジェルスに着くと、古い友人に電話しようとふと思いました。電話をすると「ああ!電話をくれて嬉しいよ、レスター。俺達はちょうど新しいアパートを買ったんだ。部屋が多めにあるから、俺達の家に滞在しなよ。どこにいるんだい?」と言いました。そして彼らは私を迎えに来たのです。

翌朝、私は台所で考えいました。「さあて、参ったな。オレは車もなしにロサンジェルスにいるのか。車がなくちゃ、あちこち動き回れないな」そして私はこう言いました。 「まあ、それも上手く手配される」と。そしてその事について考えるのは止めました。

次にある思いが頭に浮かびました。「バールに電話しろ」と。バールは何年か前に、ニューヨークからロサンジェルスまで一緒にドライブした事のある古い友人でした。私はバールに電話をすると、彼はこう言いました。「ずっと君の事を考えていたんだよ、レスター。どこにいるんだい?会いたいから、すぐに行くよ」と。そして、15分かそこらの内に彼は現れたのでした。

私たちはコーヒーを台所のテーブルで飲んでいました。私が何も頼んでいないのに、彼はポケットに手を入れると、車のキーを取り出し、テーブルの反対側の私のところにすべらせて、こう言いました。「君がここにいる間、オレの車を使ってくれよ。オレには必要ないからね。俺はスタジオの側に住んでいるから歩いて出勤するからさ」と。私は彼に礼を言いました。 ここでも私は必要なものは何でも手に出来たのです。

約10日後、私はニューヨークに帰りたいという気分になりました。1月3日くらいだったと思います。私はTWA航空に電話をすると、「ああ、申し訳ありません。30日間予約で一杯でございます。キャンセル待ちの名簿にも、既に30人以上の方がおりますので、そこにもお乗せ出来ません」と言われました。

私はただ「ありがとう」と言うと電話をきり、自分にこう言いました。「さあて、誰が予約を必要としてるんだい?オレが行きたいと思う時は行くさ」

そこで次の日の朝、目を覚まして、私は自分に問いかけました。「ニューヨークへ帰りたいかい?」

私は言いました。「ああ、帰りたいね」と。

私は荷造りをし、10時頃に空港に降り立ちました。そして、ニューヨーク行きの飛行機はどこか尋ね、ゲートまで行きました。一人の男性がニューヨーク行きの飛行機に乗客を搭乗させていました。私は「予約したけど来なかった人はいますか?」と言いました。

彼は「はい。一人いらっしゃいます。しかし皆さんを乗せるまでお待ち下さい。そこにいて下さい」と言いました。

彼が搭乗させている間、一人の女性が私と同じ事を聞きました。

彼は「分かりません。しかしその男性の後に並んでいてくれたら、探してみます」と言い、彼女を私の後ろに立たせました。

彼は搭乗を終え、私に向って歩いてきました。私の側に来ると、後ろの女性の腕を掴み、彼女を搭乗させました。

私としては全ては100%上手く行ってた筈なのにです!

彼は私の所に戻ってきて、唖然としました。彼は自分が今した事を悟ると、口を開けたままになりました。そこで私は彼を落ち着かせました。彼が私を落ち着かせる代わりにです。私は彼を落ち着かせてからこう言いました。「さて、次のあなたの飛行機はいつ出発しますか?」と。

「1時間以内です。ああ、今すぐのがあります」と言いました。

彼は私をその飛行機に乗せ、その飛行機は先の飛行機よりも2時間早くニューヨークに着いたのでした。それは私が初めて乗った横断する乗り継ぎのない飛行だったのです。当時、普通は少なくとも1回はどこかに着陸していました。ノンストップ飛行はまだ新しく数も少数だったのです。これはDC6が配置されている時代ですからジェット機はまだありませんでした。ノンストップで大陸を横断するのはやさしい事ではなかったのです。

その時、私は電話をきった後、「誰が予約を必要としているんだい?」と言った事を思い出しました。私はこうも言っていたのです。「それだけじゃなくて、私はノンストップの横断飛行を初めてするんだ」と。それが最初のフライトをの際、あの男性職員が私を後回しにして、次のフライトに乗せた理由だったのです。

そして、私はニューヨークに帰ってきました。お金を持たずに出発し、お金を持たずに帰ってきたのです

後に、「私が必要とした時必要としているものを持つ」という豊かさの原則は、再び世界旅行で実証されたのである。


1952年にレスターが心の平穏な状態へと大きな飛躍をした後、その真実に対する気づきは決して彼から去っていくような事はなかった。
彼が不動産の取り引きをしようが、家族を訪ねようが、他の人に自分の経験を話していようが、彼は自分の内的平和な存在に留まったまま、その平和に気づいていた。
人々は彼と共にいる事を好んだ。なぜなら彼は彼らを自分自身を見るのと全く同じように、つまり、完璧に美しく、全知全能で、あらゆる事に完璧であり、全て平和であるというように見たからである。
この強力な知覚それ自体が感受性の強い人に投影され、各自がこのような存在である内的な核心部分を刺激したのである。多くの人々は、彼がいる前で自分自身のこの真実を経験し、より多く経験しようと意欲的になり、彼の経験を聞きたがった。

彼はいつも喜んで他の人に分かち合い、彼が行なってきた事に関して話をした。最初は特に骨を折ったり、その方向で宣伝をしなかったのだが、彼がいる所には、口コミで人が彼の話を聞こうと姿を現わすのだった。しばしば即席の集まりがニューヨークの東57番街のカフェテリアでコーヒーを飲みながら開かれた。

彼が全国を車でドライブし、途中立ち寄ったところで、誰かと話しを始めると、相手は興奮し、友人を呼び、その友人が友人を呼ぶような出来事もあった。やがて、彼の話を聞きたいと思う人が100人以上にもなっていた。その頃、レスターは何日間か滞在し、その場所のグループが大きなホテルの会議室を借り、彼のトークが始まる時間までには、しばしば1000人かそれ以上の人が集まっていたのである。

彼は自分のワークに対して何も費用を請求する事をしなかった。人々がお金を提供しても受け取ろうとはしなかったのである。彼は自分が必要とするものがあれば、その必要なものは手に入る事を知っていたのである。
彼はそれを1度ならず実証していたし、不動産のベンチャービジネスも収益が高いまま続いていたのである。
彼は何も必要としていなかったのである。

1958年、彼はカリフォルニアに引っ越そうとふと思った。彼はニューヨークのアパートを引き払い、新しいクライスラーと31フィートのトレーラーハウスで西へ向かって進んだ。
最初の目的地はサンディエゴだったが、アリゾナに向けて運転している時、彼はセドナへの道路標識を見て、彼の内的な声が「そこへ行こう」と言ったのだった。

「なぜ?」彼は自問した。

「行ってごらん」彼の内的声は答えた。「そうすれば分かるよ」

赤い岩がそびえ立っている真っ只中にある静かな古い西部の町に車で入ってきた時、彼は、なぜ自分がセドナに引き寄せられたかを理解した。美と平和の感覚があまりにも強烈なので、彼はまるで自分の家に帰ったように感じていた。

彼は不動産業者に連絡を取り、隔絶された160エーカーの牧場を見せてもらった。そして、その不動産をローンなしのキャッシュで購入し、元の所有者がその土地に建てていた古い石で出来た家に引っ越した。

その土地は大変穏やかで、完全に隔絶されており、四方が林に囲まれていた。もっとも近い隣家は、牧場の入口の門の中にある小さなコテージを所有している女性を除外すると、1マイル離れていた。彼らは散歩に出るとしょっちゅう会っていた。そしてある日、彼女は街から遠く離れて一人で暮らす事が如何に寂しいか語った。話している間、レスターは、彼女は街の中にある小さな家と土地を、彼女のコテージと土地と交換したいのではないかと思った。彼がそれを彼女に提案すると、彼女は喜んで、彼女にぴったりな場所を見つけ、注文通りの家をそこに建てるという彼の提案を受け入れた。

彼はあらゆる仕事を自分で行なった。家の土台を掘って流し込み、壁を立て、屋根を乗せてと、全てを行なったのである。
彼の健康状態は完全に回復され、若い男性の体力、エネルギー、スタミナを獲得したという事を遂に自分で証明したのである。
家が完成した時、レスターと彼女は交換した。彼は新たに獲得した家をコテージと呼んだ。

今や、彼の牧場は完全に人里から隔絶したものとなり、彼は一人でそこに数年住んだ。1月に1度か2度、食料品や生活用品を買いに街へ出かけたが、それ以外は牧場で一人で過ごしていたのである。これは彼が今までまったく経験した事のない、大変異なったライフスタイルであり、彼はそれが気に入っていた。

しかし、彼が人々とワークしている事は完全に止めてはいなかった。しばしば110マイル離れたフェニックスまでドライブし、数日から1週間滞在したのだった。また、1960年代にフェニックスでアパート経営に投資していた。

数年後、彼は規則的にワークしているグループがあるカリフォルニアに、年に数回定期的に行き始めた。

彼を求めて、人々は彼が「自己の楽園」と名付けていた牧場に来るようになっていた。1961年、ダグ・ディーンという男性が初めてコテージにしばらく滞在するためにやってきた。ダグが去った後、しばらくして3人の女性がやってきた。その年が暮れる頃、他にも人が来て去っていった。そして、1975年までにいつも何人かの人がコテージにいるようになった。数人の女性は何年も滞在したが、ほとんどの人達は数ヶ月で心が穏やかになり、リフレッシュしたのだった。それから、この社会での彼らの生活の履歴を残していったのだった。

それは大変平和な暮らし方で、レスターは満足していた。彼自身や他の人が、そこから出入りする事は、その生活に付随したものであり、1952年に彼自身が発見した内的状態の広漠とした静けさを、かき乱したり触れる事は決してなかった。彼はこのようにして残りの人生を暮らせたかも知れないが、それは全ての人が自分自身でこの状態を発見してほしいという彼の願いには合わなかった。彼は、全てと一体であると感じていた。それをこう語っている。

私が発見した事を、残りの私(訳註:つまり彼以外の全ての人という意味だと思われる)に発見してもらいたいと思っていました。そこで、しばらくしてから、この知識をより多くの人々に知ってもらう方法を考え始めたのです』

END