制限のゲームを手放そうじゃないか!

Q:これを経験し、それから失ったりするんでしょうか?

レスター:ああ、そうだ。多くの人々はそうだ。

最初、それを失ってしまう。それを維持し続けることができない。

なぜなら、思考の習慣が再び戻ってくるからだ。

そして思考を始めた瞬間、我々は制限されていると考え始める。

全ての思考は制限があるからだ。

制限のゲームを手放そうじゃないか!

世界を手放しなさい。コントロールしようするのを止めなさい。

それを楽しもうとするのをやめなさい。

内側から全ての喜びを得なさい。

それから、以前のゲームだったものは、まったく同じ「絵」のように思える。

全てのものは平等になるのだ。

もし全てのものが同じであるなら、そしてそれが究極の真実なのだが、どこにゲームが存在するのだ?

ゲームに囚われたなら、永遠の幻想に囚われていることになる。

ゲームは終わらないだろう。

そしてもし、あなたがゲームの中にいるのならば、あなたは永遠の存在から離れていることになる。

ゲームの中には常にある制限があるため、完全に満足することはできないのだ。

だから、自分が身体である…というゲームを演じることを超えていくというステップがあり、全てのものが平等であるというステップがある。

平等性というのは、あなただけが存在し、それがあなたの自己である…ということである。

残るのは永遠なる自己だけであり、それはあなたであり、あなたの自己のことである。

存在とは全ての存在のことであり、分離は存在しないのだ。

存在だけがあり、それは全ての存在なのだ。

今や、この存在が何であるかを知る経験をするだろう。

この究極の最高の状態を描写するのに一番適していると思うのが、「存在とは全ての存在のことである」ということだ。

続きます…

素晴らしい描写ですね。訳しながらテンションがあがってきました↑
自分の経験ですが、数日間、本当に全てが平等だという経験をしました。大富豪も路上にいる方も全ての人や物は全く同じなんだ!という啓示のような感覚がやってきて、興奮した覚えがあります。
しかし、やはり思考がやってきてしまい、今は普通の感覚です↓
でもあの時の経験や感覚は覚えているので、それをまた再び取り戻したいと思う今日この頃です(^_^;)