君たちは望んでいない

Q:なぜなら、出来ないんですよ。

レスター:君は、永遠なる存在が、限界の存在であることを止められないって言っているのか?

Q:我々は望んでないんだと思います。

レスター:そうだ!君たちは望んでないんだよ!

Q:永遠なる存在が望んでいないんですか?

レスター:そうだ。永遠の存在である、「私」は、自分が制限された身体であると考え、この身体であるという思い込みを手放したくないのだ。
これで、意味をなしているだろうか?

Q:はい。

レスター:あなたが「私は」と言うたびに、それ以上何も付け加えなければ、あなたは自分が永遠の存在である…と言っているのだ。

だが、あなたはすぐに「(私は)この身体である」と付け加えてしまう。

今から、単に「私、私、私…」とだけ言うなら、あなたはすぐに覚醒するだろう。

なぜなら「私」にフォーカスすれば、「私はこの小さな身体だ」と言わなくなるからだ。

だから、毎瞬、この永遠の存在を経験できない者はいないのだ。

この「私」だけを経験する限り、この永遠の存在を経験しているということなのだ。

しかし、君たちはそれを見たいと望んでないのだ。

君たちは「身体」でいたがる。だから、何が必要となるだろうか?

最初に、「私はこの身体と心ではない」と自分自身に言いなさい。それから「私は何か?」と問いなさい。

この身体と心を十分に拒絶したら、我々が何であるかが、明らかになるだろう。

続きます…。

訳すのがすこし難しく分かりにくかったかもしれません。

要は、「覚醒するためには、自分は身体ではない」と自覚しなさい!という話ですが、実はここが難しいところでもあります。

基本的に、覚醒やスピリチュアルを求める人々の中には「(この幻想世界を)幸せに生きる」ために、この真理を究めたい!と思っている人が多いようですが、その「幻想世界を良くする」という思いの前提には、「自分は身体である」という意識や思考があるので、この「自分は身体ではない」という前提を崩すのが難しい…だから、覚醒が難しい…という堂々巡りの状態があります。

別にこの幻想世界を幸せに生きるのは問題ないとは思いますが、あなたが本当にどこまで望むのか?というところが問題でもあります。
この世界の幸せを望むのか、それともこの世界から抜け出し真我一体を望むのか…。

覚醒者として知られる「プンジャジ」の「覚醒の炎」という本に面白いエピソードがありました。

ある王国の王様には世継ぎがいなかったため、次の王を決めることにし王様は国民にお触れを出しました。

それは、ある日の夕方までに王がいる玉座までたどり着いた者が次の王になるという内容でした。

その玉座にたどり着くまでに王宮内では好きにすごしても良く、人々はその日王宮に行き、王宮内ですばらしい食事や歓待や宴や贅沢を楽しみました。
そしてそれを楽しみ我を忘れてしまったため、結局玉座に辿り着いた人は一人もいなかったのです。

王様になれば王宮全体が自分のものになるのに、人々は目の前の贅沢や快楽に溺れて本当の目的を忘れてしまったのでした。

これと同じことを今現在、私たちはしているのだと思います。

ついつい日常生活に我を忘れてしまうと、この話を良く思い出します(^_^;)

(このエピソードはうる覚えなので少しニュアンスが違うかもしれません。。(汗)気になる方は、プンジャジの本を読んでみてください。内容的には面白いと思います。。)