瞑想は形式的である必要はない

本質的ではない思考(雑念)は、もし我々がそれに興味を持たなければ現れては来ない。

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我々はマインドをどうやって静めるかその方法を学ばなければならない。

絶え間ない会話をすることでは決してその方法を学ぶことは出来ない。

会話が少ないほど良いのだ。

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瞑想は形式的である必要はない。

常にいつなんどきでも静かにし、探求すべきである。

我々のうち何人かは、形式ではない瞑想のほうが瞑想しやすいと気づいた者もいる。

なぜなら我々は無意識のうちに形式的な瞑想に対し、反対や反抗心を持つからである。

しかしながら、その反抗心を取り除くべきである。そうするとそれらからも自由になるのだ。

ネガティブな思考がマインドに現れるたびに、その思考をひっくり返しなさい。

それらをひっくり返すことによりネガティブな思考を手放しなさい、そうすればある時すべての思考を手放せるだろう。

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あなたが得たものが残っている。

ひとつの思考、アイディアを取り除いたとしても、まだまだたくさんの思考が残っており、他の思考がまた現れてくる。

ひとつの限界ある思考を手放したとしてもすべての潜在意識の思考を手放したことにはならない。

習慣や素質(傾向)などを手放すことにより、残りの思考も手放すことが出来る。

瞑想は探求とともになされるべきである。

続きます…。

覚醒を目指した聖者には沈黙の行と言うのがあり、何年間も全く話をしないという行により覚醒に至った聖者もいたようです。
(まあ実際は話さなくてもマインドが騒々しいなら意味はないですが…)

関係ないですが、「リトル・ミス・サンシャイン」というコメディー映画を見たことはあるでしょうか?
この映画には、哲学者の「ニーチェ」に心酔し、一切話をしない…という高校生の男の子のキャラクターがいて、なかなか面白い設定でした。
内容的にも非常に良く出来た映画で大笑いしたいときにはぜひオススメしたい映画です。

ちなみに、精神世界を知る上で参考になる映画もあげておきますね。

「マトリックス」3部作
これは本当に真理をある意味表現した映画でした。初めて見たとき「驚愕」しました。
ただのSFアクション映画ではありません。

「ルーシー」
グランブルーやレオンを監督した「リュック・ベッソン」の映画。最後の最後がすばらしいのですが、悟り等に興味ない方には最後が良くわからない…という意見が多いようです。まだ見てない方はぜひ見てください。最後の意味が分かればかなり悟りに近い?かも?(笑)