瞑想が喜びになるまで辞めるべきではない
瞑想を練習し、瞑想の習慣を身につけるために瞑想しなさい。
出来る限り瞑想をすべきだ。
瞑想は、我々が誰であり何であるか…ということにマインドを向けさせるものである。
瞑想をすることにより、マインドの注意を世界からそらすことが出来、我々が本来いる方向へと意識を向けることが出来る。
瞑想をすればするほど、より瞑想を好きになるだろう。
それを好きになるほど、ますます瞑想をするようになり、ついに努力なくすべての時間瞑想をすることが出来るようになる。
あなたが何をしようとも、瞑想は背後で続いていく。
それからあなたは動き出す。
その時まで、あなたが俊敏に動くことはないだろう。なぜなら、ほとんどの時間、あなたは外側の世界に存在しており、限界の世界にいるからだ。(瞑想し限界を超えた意識になると、物事が早く動きだす…ということ)
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高次の状態に行くために、たった一つの方法がある。
それはマインドを静めることだ。
マインドを静める方法こそが瞑想である。
それはとても難しい。
座り、マインドを静めようとすると、思考が湧き上がってくる。
だから思考が湧き起こるたびにそれをノックアウトし続けなさい、それらを取り除き手放しなさい。
そうすれば、比較的静かに座ることが出来るようになるだろう。
それから、あなたは瞑想を好きになり始める。
なぜなら真我という深遠な経験をするからだ。
一度それが好きになれば、瞑想を練習するうえで邪魔するものが取り除かれる。
瞑想が喜びになるまで辞めるべきではない。
そうすれば、簡単に瞑想を続けるようになるだろう。
続きます…
今日は少し訳しにくいところがありました。すみません^_^;
全体的には瞑想が何より大切であり、瞑想で限界の思考を超え真我に到達したら、世界で努力して働きかけるよりも物事がスムーズに起こってくるよ~っていう話です。
結局私たちは何にもしていないのですが、自分があれこれしている!とエゴ的に思っているだけなんですね。
何にもしておらず単に観察しているだけ…というのが本当のところなので、エゴが邪魔しなければ物事はベストなタイミングで勝手に起こってきます。
だから、努力なども本当は不要であり、何をするか?の「do」ではなく「どうあるか?」の「be」であることがとても大切であったりします。
時間もないので瞬間瞬間を「ただある」こと、言い換えれば「今」にあればそれだけで物事がベストなタイミングで起こるべきことが起こる…のですが、エゴが消滅していない限り努力して自分や世界を変えなければいけない!と思ってしまうんですよね~。
これがエゴの落とし穴だったりします。
本当は、存在だけで完璧であり全く何も変える必要はないし、そのままで完璧だ!と思うとその完璧の世界が投影されるので、逆に世界が変わったりします。
世界や自分を変えようとするのではなく、どんな自分でも常に完璧でありそんな自分を受け入れること…が、実は一番早く変わる秘訣だったりします。