「私はこの体ではない」
瞑想とは、思考である。しかし、それはひとつの物を考え続ける思考であり、その他の思考は消え去るものである。
ひとつの事に集中すれば、他の思考は消え去る。
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静かになればなるほど、より真我状態になる。
瞑想が常に行われるなら、例え外側の世界で活動していても、つねに真我にとどまり続けることができ、そして人生や仕事などは自動的に行われるようになる。
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真我探求において成熟した人は、次のことから始めるのが良い:
;真実は、私が決して束縛されていないということ。
;私は常に自由であり、完全である – そしてその観念からも自由になるのだ。
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あなたではないものの代わりに、本来のあなた自身を見なさい。
あなたが何であるかを見つけたら、あなたはあなたではない物が自然にわかり、そしてそれを捨て去るだろう。
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「私はこの体ではない」と言いなさい。「私はマインドではない」と言い、そしてそこに留まりなさい。
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あなたはエゴではないと気づいたら、エゴの大きな塊を手放すだろう。
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瞑想をどれだけ深くできるかその深さに応じて、エゴをどれだけ消し去るかが決まる。
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瞑想の深さは、マインドを静める深さと同じである。
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瞑想を長く出来るほど、あなたは深いところまでいけるのだ。
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至福へ一度たどり着いたら、その時あなたは自分が何であるかわかるだろう。
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良い感情を得るのは、良いことだ。
高次元に行くほど、感情はより素晴らしいものになる。
しかし良い感情を得ることが目的になると、それで終わりになる。
成長とは、真我の素晴らしい感情に没入する以上のものだ。
それは、自我、エゴがない状態のことだ。
続きます…
私の知り合いに、世界の環境や食糧問題を解決する可能性のある、画期的な製品を発明した女性社長がいます。
本人はちょっと天然ではありますが、いたって普通の女性です。しかし、その発明品が最近国内外で注目され始めています。
その社長はとにかく他人のために尽くすことを考えて製品開発をしており、自分のための金銭欲や遊びたいとか楽したい…とかいう発想が皆無で、なかなか珍しいタイプだなあ~とは前から感じていました。
その発明力と発想力が少し普通ではないので、自我以外の領域から発想を得ているのかなあ~と思って、最近ふと彼女に「実は霊感とか直感ってない?」と聞いてみました。
すると、やはりかなり珍しい能力を持っていることが判明しました。
実は10代のころ、他人の死が分かったり、事故が起こるイメージが来たり、他人の心の声が普通の話し声と同じくらい明確に分かったりととにかく不思議なことが多すぎて、一時期自分がおかしくなったのかとかなり悩んだそうです。
時々心の声と話す声が同時に聞こえ、どちらに対して答えたら良いか分からなかったり、心の声のほうに無意識に答えて気味悪がられたりしたようです。
本人はそれを「私は頭がおかしいから」ということで片付けていますが、今でも意識的に聞こうとするとそういった言葉やイメージが次々と現れてシンドクなるようです。
母方の血筋にそういった方がいたようで遺伝的なものもあると思いますが、私からすると、自分自身の我欲があまりに少なくエゴの壁が普通より薄いため、他人の意識やその他別な領域につながりやすいのかなあ~とか思ったりします。
その彼女の姿勢を見ていると、私などはまだまだ我欲にまみれているなあ~と我が身を振り返る今日この頃です(^_^;)